日本リウマチ学会について 日本リウマチ学会について

ワークライフバランス

上司と部下でつくるリウマチ医ワークライフバランス2022

山形大学医学部 整形外科学講座(非常勤講師)
佐々木明子先生(部下)

子が親から言葉や箸の持ち方を学ぶように、部下が上司から学ぶものは数多く、患者さんとの接し方、診断と治療の進め方や手術手技など多岐に渡り、そしてそれが医師としての礎となります。
一方で医師もひとりの人間であり、家族や友人と過ごす時間や自らの人生を楽しむことも大切です。「仕事と家庭の両立」という言葉のほうがしっくりくる時代に、試行錯誤しながら過ごしてきたこれまでを振り返ると、分岐点には上司(高木理彰先生)の助言があり勝手に“Prof. Takagi GOROKU”と命名してみました。

整形外科全般の研修を終え、専門を決める前に大学院で関節リウマチの基礎を学びたいと上司に相談に行きました。

“Prof. Takagi GOROKU”その1
「大学院では物事の考え方を学ぶ」
「時間に制限がある 金は出す 結果を出せ」
「ナンバーワンでなくていい オンリーワンを目指せ」

大学院時代は唯々目まぐるしく、細胞培養をしながら結婚・出産、整形外科専門医を取得し、その間「リウマチ整形外科医」として進むことに決めました。大学院在学中に、リウマチ診療のいろはを学ぶため瀬波病院に研修に行きたいと上司に相談しました。

“Prof. Takagi GOROKU”その2
「山形のリウマチ診療レベル向上のため リウマチ専門病院で多くを学んでくるべし」

と快諾して頂き、細胞培養を一時中断してリウマチ臨床研修に出かけました。初めて訪れるリウマチ専門病院では、内科と整形外科の連携体制やリウマチ診療の基礎など多くを学び、とても有意義な時間でした。
大学院卒業後、しばらくはリウマチ整形外科医として大学病院で手術や病棟管理を行っていましたが、慌ただしい生活の中で家族と過ごす時間が著しく少なく、本当にこれでいいのだろうかと思うようになりました。特に子供と共に過ごせる時間は限りがあり、親にとっても大切な時間なのではないかと考え、仕事を制限するために常勤から非常勤にしたいと上司に相談しました。

“Prof. Takagi GOROKU”その3
「人生色々ある 様々な働き方がある」
「今できることを無理せず続ける」

非常勤となり手術や病棟管理を行わなくなったため、自らが携わるリウマチ整形外科診療には制限が生じましたが、他科との連携や多職種との関わりなど、多岐にわたるリウマチ診療のコーディネーターとしてリウマチ患者さんを繋ぐという重要な役割は維持できていると自負しています。一方で、スポ少や課外活動など、子と共に笑い共に泣き一緒に過ごす時間はほんの一瞬でしたが、とても素敵な時間でした。
「患者さんの幸せのために最大限の努力をし、医師自らも幸せであること」がワークライフバランスには大切なことなのではないかと思います。

佐々木明子先生 集合写真


山形大学医学部 整形外科学講座
髙木 理彰先生

とある縁がきっかけで決まったヘルシンキ大学への大学院留学。以来帰国後もたびたびフィンランドを訪れるようになりました。広々とした国土に人口550万人。湖と白樺。故郷道東を思い起こさせる自然の風景は郷愁を誘います。スキージャンプとアイスホッケーを愛するお国柄も留学を決めたきっかけの一つでした。留学の始まりは1992年9月初旬。すでに秋の色濃い首都郊外の学生街で家内と二人、留学生活が始まりました。アパート群に囲まれるように小さな公園があって、天気の良い週末にはこども達のはしゃいだ声もこだまします。お父さん二人が、互いにバブバブをくわえた幼子をバギーに乗せて、楽しそうに談笑している姿が。。。。こんな風景は日本では見たことがない。そこうするうち、研究室の同僚と親しくなって、あれこれいろいろフィンランドの歴史や文化の話を聞くうちに少しずつ、その謎が解けてきました。
フィンランド共和国の独立は1917年。日本海海戦でバルチック艦隊が壊滅し、バルト海に軍事的な空白が出来たあと、念願の独立を果たしました。ロシアと国境を接する国の事情からか、独立以前から様々な歴史に翻弄され、第二次世界大戦では、ドイツとソ連の板挟みに遭って幾多の苦労を経験しています。戦後にはソ連から多額の賠償金を要求され、男女問わず、様々な仕事に就いて、一生懸命働き、国家を維持する必要に迫られた事情は、社会全体の男女共同参画をより確かなものにしていったとされます。実は、世界に先駆けた男女共同参画の流れは、それ以前からあって、帝政ロシアから独立前の自治国家時代の1906年、欧州で初の女性参政権が認められています。男女平等を否定する根拠はないとする当時の内閣の判断だったそうです。1983年のニュージーランド、1092年のオーストラリアに次ぎ世界3番目でした。現在、女性の社会進出は世界最高レベルとされ、国会議員定数に占める女性の割合は45.3%で世界第13位。ちなみに日本は、14.3%で153位となっています(Globalnote, 2022, https://www.globalnote.jp/post-3877.html)。現在のフィンランド共和国第46代首相はサンナ・マリンさん。2019年から首相の仕事と育児を両立する36歳の若きリーダーです。ウクライナ危機でも毅然とした態度でロシアに接しています。性別にとらわれず、誰もがそれぞれの資質を生かすための社会作りを続けるフィンランド。目が離せません。
話は変わりますが、先日、子育てに奮闘するある女性医師のコミックを読んで様々な思いにふけりました。確かにママ・ドクターは大変だけど、ママ・ドクターを育てる方も大変なんです。勤務時間の配慮は言うに及ばず、学会当日朝早く、すみません!のメッセージと共に送られてくる学会発表スライドの添削。締め切り間際にあわてて持ってくる論文の原稿は誤字脱字だらけ。大学院生夫婦の細胞培養実験を助けるための子守では、時におむつ換えやおしっこ当番も。お子様連れOKとした夕方のカンファレンス改革や託児所付きのセミナー開催。あの手この手の支えも限界に。。。でも、お子ちゃま連れであたふたとママがやってくるとお説教も出来なくなってしまいます。そんな彼女たちですが、子供たちも大きくなって、いまや臨床をサポートしてくれる頼もしいお母さん。きっと、これからも活躍してくれることと思っています。ささやかですが、男性教室スタッフの育児休暇制度も今年の春に立ち上げました。軌道に乗ることを願うばかりの今日この頃です。
振り返ればもうすぐ40年。整形外科やリウマチ、リハビリテーション分野で仕事をする機会に恵まれ、10年前からは教室を預かって若い後輩や同僚と悩みを共有しながらあれこれ調整することが増えてきました。身近なところでは、共働き、子育て、介護、体調が優れない、などなど。仕事と家庭の両立では、大変難しい課題ばかりです。ひとりひとりの努力もさることながら、お互いの夢を叶え合うための支え合いの精神が課題克服に必要と感じています。何事も無理のない範囲で、疲れたときには少しお休みする、というフレーズはとても大切です。いつも上手くはいきませんが。。。そんな気持ちをこれからも大切にしていきたいと思っています。医師も研究者も政治家も、社会での肩書きに「女性」という言葉が付かなくなったときが本当の男女平等社会、男女共同参画社会の実現ように思っています。フィンランドからも様々なことを学んできました。夢の途上です。

髙木 理彰先生 写真


香川大学 医学部・医学系研究科 内科学講座 血液・免疫・呼吸器内科学
土橋浩章先生
脇谷理沙先生

香川大学における男女共同参画とキャリア形成について
現在の科長である土橋先生が膠原病・リウマチ診療責任者となった2006年、香川医科大学医学部(現:香川大学医学部)の膠原病・リウマチ性疾患診療担当は土橋先生を含めて二人でした。当時の医学科卒業生における女性の割合が1990年代の20%以下から2000代年には40%以上と増加していたことと、同時期に「お母さんになりたい」という膠原病・リウマチ性疾患患者さんの切実な思いに対する診療における女性医師のニーズへの対応を田舎のリウマチ屋として迫られていました。この2つの事象がリンクし、1980年代から膠原病・リウマチ性疾患診療に従事していた大先輩の大西郁子先生に女性医師の20年の系譜および実情聴取し、女性医師の置かれている環境の問題点を抽出し、活躍する場面を想定しました。土橋先生と同じX世代の亀田智広先生とともに、早期体験学習や臨床実習を通して女子学生や女性研修医に膠原病診療の魅力や女性医師が活躍することについて積極的に啓蒙活動を行なっていかれたようです。2010年代に入り、膠原病・リウマチ内科として女性医師の参画が増え、2022年には学内スタッフ10人のうち4人が女性医師となりました。学外にも女性医師の活躍の場が広がり、私の上司である2000年代から膠原病・リウマチ性疾患診療に従事されている泉川美晴先生は、玉藻クリニック院長として、地域の膠原病・リウマチ性疾患診療のみならずワークライフバランスの実践について大学の学生や地域での講演会でその存在意義を発揮され、膠原病・リウマチ性疾患診療のみならず社会における医師を中心とした男女共同参画について積極的に活動されています。このようにスタッフ全員がワークライフバランスに理解がある環境があることで男女ともに働きやすい環境であると実感しています。

また土橋先生はスタッフそれぞれがアイデンティティを持ち、足跡を残すことを教育の方針としています。専門医や指導医を取得するだけでなく膠原病・リウマチ性疾患診療の中から特定の興味のある領域にフォーカスを当て研究や新しい診療戦略に携わり、学会や論文発表を積極的に行うように指導されています。アイデンティティを持つことで育児などを契機に休職された医師も自身の需要を実感しやすくモチベーションを維持しやすいのではないかと思います。

2010年代から膠原病・リウマチ性疾患診療に従事している私にとってお手本の島田裕美先生は膠原病合併妊娠に、私は全身性エリテマトーデスにフォーカスを当てた研究で学位を取得でき、現在は日本リウマチ学会の専門医・指導医・評議員として自身の研鑽のみならず後進の指導に取り組むようにしています。

キャリア形成を行うにあたり多くの人は私生活に影響が出ることと思いますが、各々が望むような働き方やキャリア形成ができるような環境を作ることが重要かと思います。共働き世代が多くワークライフバランスが重視されていますが、オンラインやハイブリッドでの研究会や学会も増えたことで移動や時間が制限されている方々もキャリアアップがしやすい環境になってきたと実感しています。私も後進を指導する立場として、今回のシンポジウムで先人より学んだ男女共同参画のこれまでを踏まえて、さらなる男女共同参画のあり方やあらたな方策を模索していきたいと思います。
 


 

上司と部下でつくるリウマチ医ワークライフバランス2021

笠原 亜希子先生

ワークライフバランスを考えていけたら

笠原 亜希子先生

私は、現在卒後12年目で、7歳と4歳の子供を育てながら大学院生として臨床研究を行っています。今回僭越ながらこのような機会を頂きました。現在進行形で仕事と育児に奮闘中の一例としてどなたかの参考になりましたら幸いです。
私は京都府立医科大学を卒業し、初期研修後に母校の膠原病リウマチ科に入局しました。学生時代は志望科ではなかったのですが、研修医時代にローテートする機会があり、長期にわたって患者さんの人生に寄り添える科であることと、免疫学の面白さに惹かれて入局を決めました。その際にはあまり将来の見通しについて特に考えておらず、入局の際も女性が子供を産んでも働きやすそうかなどは全く見ておりませんでした。
その後結婚し、出産するという段になって気付いたのですが、当科では、子育てしながら仕事を続けられた先生が今までいらっしゃらず、私が初めて出産・育児を経て仕事に復帰した例でした。先にキャリアプランのお手本となる先生が居られなかったこともあり、その後のキャリアに関しては、上司である川人先生に相談しながら、手探りで積み重ねていきました。それがかえって、良かったように思います。
入局した後は、専攻医を経て、卒後5年目に第1子を出産しました。その後育児休業を経て、時短勤務の特定専攻医として復帰し、卒後8年目に第2子を出産した後は、夫の赴任に伴い、2回目の育児休業中を京都府の北部で過ごしました。その後、大学院に入学して復帰し、大学院生として臨床研究を行いつつ、リウマチ専門医も取得しまして、大学附属病院でリウマチ・膠原病外来や関節エコー、外病院で一般内科外来などに従事しています。復帰後も専門外来を継続して持たせていただいたので、リウマチ医としてもキャリアを途切れることなく続けられたことはとてもよかったと感じています。
医師として、出産・育児を経て仕事に戻るというのは、もちろん良い面も悪い面もありました。デメリットとしては、やはり臨床の経験を積むべき時期と出産の適齢期が重なっているため、そうしても臨床経験が不足しがちであること、そして自分だけではなく子供の体調不良などが頻発するため仕事を急に休まざるを得ない日があること、また知識を得るための研究会が、夜間や休日であるため参加しにくく、最新の知識を得る場が限られること。(これはコロナ禍でオンライン開催が多くなり、自宅からでも参加できるようなったので大変助かっています。)
もちろんメリットも多くありました。女性の患者さんが圧倒的に多い科で、実際に妊娠・出産・育児、などを経験出来たことで、患者さんの生活をイメージしやすくなり、負荷の程度などが理解しやすくなった、医師として共感しやすくなったと感じました。また、実際に産後授乳姿勢などの負荷で腱鞘炎になっていまいました。腱鞘炎になっただけでもフライパンや重いものを持ったり、子供を抱っこしたりなどの動作が本当に辛く、リウマチ患者さんの辛さの1%程度でも少しは実感できたように思います。
女性医師の働き方に関しては色々な議論があるとことかと思います。もちろん結婚を選択するかどうか、子供を持つかどうかに関しては個々人のライフプランがあるところかと思います。しかし、育児中の女性医師だけではなく、男女問わず様々な立場があると思います。例えば共働きの男性(特に若い世代では多く、配偶者が医療関係者のことも多いです。)また、共働きでなくても核家族化した現代においては、男性パートナーの家事育児への参加が必須な状況が多いと思います。自分自身の健康状態が思わしくなかったり、両親や義両親の介護問題を抱えていたりという人もあると思います。医師の特殊性もあり、負担の分配が難しい部分もあるとおもいますが、子供を持つ女性だけではなく、年齢や男女問わず様々な立場の人それぞれが、その人の望むような働き方が出来たらいいな、と思います。もちろん状況的に難しい点が多いので、あくまで理想ではありますが。
出産・育児を経て仕事量が変わったり、出来なくなったりした業務もありますが、必ずしもトータルしてその経験がマイナスではなく、特にリウマチ医としてはプラスとなっている面も多いと考えています。今後も上司である川人先生や当科のメンバーと話し合いながら当科なりのワークライフバランスを考えていけたらと思います。

笠原 亜希子 略歴

平成22年(2010年)に京都府立医科大学を卒業し、京都第二赤十字病院、京都府立医科大学附属病院にて初期研修を行う。その後平成24年(2012年)4月に京都府立医科大学附属病院膠原病リウマチアレルギー科にて前期専攻医、後期専攻医として勤務し、現在平成30年(2018年)4月より大学院生として臨床研究を行っている。

 
 

川口 洋平先生

キャリア形成とその環境形成における上司の役割

川口 洋平先生

私は2006年に名古屋市立大学を卒業後、関連病院で整形外科の外傷手術を一通り学んだ後、卒後8年目に漠然と大学院に入学しました。当時の名古屋市立大学整形外科の大学院生の教育システムは他大学の基礎教室へ出向し、研究をやらせてもらうというスタンスでした。しかし、私はせっかく大学に戻って来たのだから、“大学で臨床にも関わりながら、基礎研究がしたい”との思いがありました。

そこで当時名古屋市立大学整形外科で唯一molecular biologyを行っていた永谷祐子教授(現:名古屋市立大学医学部附属東部医療センター教授)の研究室のドアを叩いたのが関節リウマチとの出会いでした。

永谷教授は、投薬から手術までをトータルマネジメントするリウマチ整形外科医という多忙な仕事と育児を両立されておりました。ちなみに育児をしながら我々大学院生の指導をするということは、大学でも子育てしているようなものです(笑)。

部下である私も、そのvitalityに負けられないと思うようになり、夜な夜な細胞と向き合い、多くの学会発表を行い、土日は割り切って育児に奔走するという大学院生活を送りました。その甲斐あって、学位取得、現在はリウマチ学会評議員までやらせて頂いております。

女性上司の見習うべき点は、限られた時間の中で仕事を終わらせなければならない故の、要領の良さだと思います。私は永谷教授と出会い、時間の使い方を意識しながら働くようになりました。私のキャリア形成において、女性上司がそのロールモデルとなっています。ロールモデルは、自分で探すものであり、性別にかかわらずキャリア形成の一助になるものです。みなさん、自分のキャリアップにつながる、ロールモデルとなる身近な上司を見つけましょう!!

川口 洋平 略歴

2006年
名古屋市立大学医学部卒業

2006年
豊川市民病院臨床研修医

2010年
国立病院機構静岡医療センター整形外科 医員

2013年
名古屋市立大学病院整形外科 臨床研究医

2018年
名古屋市立大学医学部医学研究科博士課程卒業

2018年
名古屋市立大学グリア細胞生物学 助教