T.は じ め に
最初の正式な遺伝子治療臨床研究が,1990年9月14日にADA(adenosine deaminase)欠損症の患者に対して始められて以来,遺伝子治療は将来の有望な治療手段として社会の注目を集めてきた。アメリカでは2002年8月の時点で,400以上の遺伝子治療プロトコールが提出され実施患者数も3000人を越えた。現時点では多くのケースにおいて遺伝子治療による劇的な改善を収めた報告はなく,遺伝子治療の将来性を疑問視する声も出ている。しかし最近は有望視される症例も現れ始めている。もちろん遺伝子医薬品として承認されたものはまだないが,遺伝子治療の基礎研究と臨床応用推進のコンセプトや体制構築方法がようやく気づかれ始めたといえるのではないだろうか。今は質の高い遺伝子治療を押し進め,一つの規範を打ち立てることが求められているといえよう。この総説では遺伝子治療の現状について疾患毎に解説し,遺伝子治療ベクターについてはわれわれのデータを中心に紹介する。
U.遺伝子治療の標的疾患
1.単一遺伝子異常による遺伝病
現在までの遺伝子治療はすべて補充療法であり,原因遺伝子の治療ではない。この観点からは単一遺伝子の変異がもとで起こる遺伝病の治療は困難であろうと考えられてきた。事実,全身性の筋ジストロフィーや表皮水疱症等の疾患は原因遺伝子が同定されているにもかかわらず遺伝子導入による治療は現状では困難であり,その原因は遺伝子導入効率の低さ,発現レベルの低さにあるといえよう。しかし遺伝病の中には現在の遺伝子治療技術であっても対応可能な疾患があることが1999年に相次いで報告された。1つはヒトのX連鎖性重症複合免疫不全症において骨髄幹細胞への遺伝子導入・治療が奏功しているという報告がフランスのFischerらからなされた↑1)↑。これはT細胞の受容体〓C遺伝子の欠損によりT,
NK細胞の機能不全に陥る遺伝病であるが,Fischerらはこの疾患において変異の正常化により自然寛解する症例があることを見出し,非常にわずかの骨髄細胞の正常化によっても治療が可能であろうと推察した。図1に示すように彼らはγC遺伝子をレトロウイルスベクターにより骨髄幹細胞へ導入した。導入増強剤としてフィブロネクチンペプチドを用いているが,この方法はすでに確立された方法であり新規のものではない。にもかかわらず症状と免疫系の改善に成功し,本年のアメリカ遺伝子治療学会ではその状態が3年にわたって持続していると報告された。骨髄幹細胞への遺伝子導入に成功したのではないかと考えられる。しかし,2002年9月に1例に白血病様の症状が生じたとの報告があり原因を調査中で,現時点では予断を許さない状況下にある。
またアメリカペンシルバニア大学のHighらを中心としたグループは血友病Bに対するアデノ随伴ウイルスベクターを用いて第\血液凝固因子を患者の骨格筋に投与して,第\凝固因子を補充する遺伝子治療を行った。その概略を図2に示す。遺伝子導入効率は低く,第\凝固因子の血中濃度は正常値の0,16%程度であったが血液凝固能が改善した例が報告された↑2)↑。血友病Bの原因因子の第\凝固因子の発現は正常値の数%でも凝固能に異常を来さないことがわかっている。そのことから低い遺伝子発現でも十分な形質改善が可能であっといえる。
このように成功例は対象疾患を厳選した結果であり,現在の不十分な遺伝子治療技術であっても変異遺伝子が一部正常化されるだけで形質が改善できたのである。すべての遺伝病が遺伝子治療の対象になる日はまだまだ遠いが,疾患を選べば遺伝病といえども現在の技術で治療が可能と考えられ,疾患の分子レベルでの病態解析の重要性がますます重要となろう。
2.癌の遺伝子治療
遺伝子治療の臨床プロトコールの約60%が癌を対象としたものである。しかし遺伝子治療の有効性はまだ癌においては明らかにされていない。それには幾つかの理由が考えられる。1つは癌遺伝子治療の対象が他の方法では有効性が認められない末期癌である場合が多かったこと,2つめは癌の生物学がまだ十分ではなく標的とすべき分子が実際にはクリアーになっていないこと,3つめは従来の遺伝子治療技術が癌治療のためにはまだ強力なものではないこと,などが挙げられよう。最近では遺伝子治療の効果が低いので,ウイルスそのものの増殖によって癌を死滅させようという方法もある。この考え自身は半世紀も前からあり,かつては新種のウイルスが分離されれば癌にかけてみるという時代もあった。最近のものは癌細胞のみに増殖する工夫が施してある制限増殖型ウイルスである。たとえばアデノウイルスのE1B遺伝子産物はp53の機能を不活性化できることから,E1B欠損の変異アデノウイルスがp53機能を欠損した癌細胞に感染すると増殖して癌細胞を死滅させ得るが,正常なp53機能を持つ細胞では増殖しない↑3)↑。この変異ウイルス(ONYX-015)を利用した癌治療の臨床応用がアメリカで始まっており,頭頸部癌の第2相試験で効果を認めている。このほか癌特異的なプロモーターを用いてアデノウイルスやヘルペスウイルスを増殖させる方法も開発されている。しかし,いくら制限増殖型といっても正常細胞での増殖がゼロではないわけで,毒性の問題が指摘されている。また,一時的にでもあれ宿主はウイルス血症のような状態に陥る危険性があり,安全性の面でのさらなる検討が必要である。
したがって癌の遺伝子治療にかけられる期待はまだまだ大きいのであるが,有効性を出すためにはさらなる技術開発が必要である。したがって癌の遺伝子治療はまだ評価を下すべき段階ではなく,開発途上といってよいと思われる。従来どのようなストラテジーが癌遺伝子治療に用いられてきているのかについて,主なもの3つについて解説する。これ以外には腫瘍血管の新生を抑制するアンジオスタチンやエンドスタチンなどの遺伝子を用いて癌への栄養供給を絶つ手法,発現に関与しているras遺伝子などのオンコジーンをアンチセンスやリボザイムでノックアウトする方法もある。
1) 免疫遺伝子治療法
癌は生体にとっては異物であり腫瘍免疫を誘発して癌を排除しようとする試みは古くから存在し,遺伝子治療が可能になって以来,免疫遺伝子治療法として今日も盛んに行われている。これには2つの方法があり,1つは宿主全体の免疫力を増強する方法で,サイトカインが主として用いられる。もう1つは腫瘍に対する特異的な免疫を増強させる方法で,腫瘍関連抗原の分離によって癌遺伝子ワクチンが開発されてきた。
前者の方法としてはIL-1,-2,-4,interferons,GM-CSFのようなサイトカインの遺伝子がレトロウイルスベクターによって腫瘍細胞や正常の線維芽細胞に体外で導入され癌患者に移植(ex
vivo法)されている。IL-12遺伝子を導入した正常線維芽細胞を移植した癌患者(悪性黒色腫,乳癌,頸部癌)では,18人中5人が治療に反応したと報告されている。しかしIL-12を安定に発現する株を得るのに2―3カ月かかり一般に発現量は低い。さらに効率の良い免疫法として抗原提示細胞(antigen-presenting
cell;APC)への遺伝子導入が注目されてきた。とりわけ樹状細胞(dendritic cell;DC)は抗原提示に関わるmajor histocompatibility(MHC)分子や抗原提示を促進させる補助刺激分子を高レベルに発現し,強力な免疫応答を起こすとができるために,癌治療の標的細胞として遺伝子導入が行われている。Ex
vivo法とは異なり直接体内に遺伝子を導入するIn vivo法も当然試みられている。Nabelらは悪性黒色種の患者の腫瘍内に正電荷型リポソームを用いてHLA-B7遺伝子を導入した↑4)↑。ここで選択された患者はHLA-B7を欠損しているために,発現したHLA-B7により免疫系が活性化され,腫瘍免疫も刺激される。局所投与により遠隔部位の腫瘍の消失が認められる場合もあることが報告された。
一方,後者はより特異的に腫瘍免疫を誘導できるが,腫瘍関連抗原が分離されている必要がある。現在までに腫瘍関連抗原がよく解明されているのは悪性黒色種であり,MAGE-1,3,gp100,TRP-1,-2,MART-1などの分子が同定された↑5)↑。これらの遺伝子をDCへ導入してそのDCを癌患者に移植する方法や直接遺伝子を骨格筋,皮内,リンパ節などに導入して癌ワクチン効果を期待する方法がある。アデノウイルスベクターによりgp100,TRP-2を骨髄由来のDCに導入し移植することによりマウスのメラノーマに対する強い細胞障害性T細胞を誘導することができた。動物実験レベルでは腫瘍ワクチンによるさまざまな試みがあり,どれも有望そうな報告がある。
しかしこれら免疫遺伝子治療の臨床応用も試みられているが,効果がある例もあるが,有意な効果は患者群全体としては得られていない。大きな腫瘍塊を消失させることは不可能である。腫瘍自体が当然宿主免疫を回避して育っているわけであり,免疫回避のためのさまざまな機序があると考えられる。たとえば腫瘍の分泌する血管内皮細胞増殖因子が宿主の樹状細胞の機能を低下させるという報告や,腫瘍よりのFas
ligandが細胞障害性T細胞を死滅させるという推測などがある。またヒトの腫瘍の場合には抗原提示に関与する補助刺激分子の発現が低いという報告もあり,必ずしも免疫遺伝子治療が有効ではないと予想される。したがって免疫遺伝子治療は他の癌治療法と併用して極力縮小させた腫瘍や診断されなくても発生するおそれのある場合の予防に有効であろうと考えられる。
2) 癌抑制遺伝子導入による治療
癌細胞における変異遺伝子の解析から第17番ヒト染色体に位置する癌抑制遺伝子p53の変異が多くのヒト癌組織において検出されてきた。これをもとにして正常なp53遺伝子を癌に導入して変異p53の機能を補おうとする試みがなされてきた↑6)↑。とくにヒトの原発性肺癌においてp53遺伝子の変異率は高く,p53遺伝子を発現効率の高いアデノウイルスベクターによって腫瘍内に直接注入して治療する臨床応用が始まっており,わが国でも岡山大学医学部において1999年3月から実施され一時的な腫瘍抑制効果が認められている。問題はアデノウイルスベクターの抗原性のために連続投与の効果が減弱すること,ほぼすべての癌細胞への導入が必要と考えられることであろう。ただ,p53遺伝子発現によって腫瘍血管新生因子も抑制されること,導入された癌細胞が死滅して癌抗原が提示され癌免疫を活性化する可能性もある。
3) 自殺遺伝子治療法
この代表的なものはヘルペスウイルスのチミジンキナーゼ(HSV-TK)遺伝子を癌細胞に導入,発現させ抗ウイルス剤のガンシクロビル(GCV)をプロドラッグとして投与する方法である↑7)↑。HSV-TK遺伝子を導入された癌細胞はHSV-TKと自身のチミジンキナーゼによってGCVをリン酸化し,三リン酸化型のGCVを形成する。この三リン酸化型のGCVはDNAポリメラーゼを阻害するために,DNA複製を起こす細胞はアポトーシスに陥り死滅する。さらに三リン酸化型のGCVはgap
junctionを通って隣接細胞へも取り込まれ遺伝子導入がない隣接細胞でもDNA合成が阻害され死滅する(bystander effect)。
この方法は癌細胞のすべてに遺伝子導入されなくても癌細胞を死滅できること,増殖の激しい細胞が選択的に死滅すること,癌細胞の死滅によって癌抗原が提示され腫瘍免疫が活性化されること,腫瘍血管の新生もbystander
effectによって抑制されること,といった多くの作用を1つの遺伝子導入で達成することができる。この方法は脳腫瘍の治療の臨床応用が早くからなされてきた。またこの方法で肝要なのはいかに選択的に癌細胞に遺伝子を導入・発現させるかであり,そのために腫瘍に優位に発現するosteocalcinのプロモーターを用いてHSV-TK遺伝子を前立腺癌で発現させる自殺遺伝子治療の臨床応用もなされてきた。しかしこの方法だけでは効果が極めて低いようである。そのために自殺遺伝子治療を増強させるような複合遺伝子治療法が考案されてきた。たとえば一リン酸型から三リン酸型への変換は宿主のチミジンキナーゼなどのリン酸化酵素によってなされるので,これらの酵素の増強により効果増強が考えられるが,図3に示すように放射線照射は宿主のチミジンキナーゼを誘導し,自殺遺伝子治療の有効性を相乗的に高めることがわかり↑8)↑,従来の癌治療法としての放射線療法と遺伝子治療の併用療法の効果が臨床においても期待されている。
しかしこの方法は癌細胞が残存する場合には効果的であるが,遺伝子導入すべき癌細胞が認められないが,発癌の可能性がある場合はどうすればよいのかという問題が生じる。たとえば癌を外科的に全摘出したと考えられる場合でもどこかに潜伏する癌細胞からの発癌の可能性は否定できない。このような場合の治療は宿主の免疫を活性化して癌の発生を抑制する免疫療法が主体となる。したがって癌遺伝子治療の各ストラテジーの併用が今後さらに必要とされるであろう。
3.生活習慣病
生活習慣病の遺伝子治療はアメリカでもまだ2%以下にすぎないがIsnerらが閉塞性動脈硬化症の遺伝子治療に成功↑9)↑して以来,ベンチャー企業も循環器疾患の遺伝子治療に本格的に取り組み始めている。遺伝子治療の対象として現在考えられている生活習慣病は閉塞性動脈硬化症,心筋梗塞,血管再狭窄など循環器疾患が多いが,これらは現在の遺伝子治療の技術レベルでも十分治療可能であろうと推察されている。とくに対象患者はわが国でも年間百万人に達すると想定され,治療を必要とする患者数は他の標的疾患の比ではない。わが国でもこの動きに従って1999年には遺伝子治療の対象を生活の質を著しく低下させるものまで含むと改訂され,生活習慣病の遺伝子治療に向けた準備,期待が高まっている。
血管新生による虚血性心血管病は遺伝子治療の最適な標的疾患の一つであることが示されつつある。遺伝子としてはVEGF(vascular endothelial
growth factor)やFGF(fibroblast growth factor)などが用いられ,下肢の閉塞性動脈硬化症やバージャー病などの末梢の血管病から,冠状動脈へのバイパスを期待する重度狭心症の治療の臨床研究が行われている。実際にタフツ大学のJ.
Isnerによって施行されたVEGF-1による閉塞性動脈硬化症(ASO)の遺伝子治療は,VEGFのnaked DNAをASOで下肢に潰瘍が生じた患者の閉塞部位の筋肉に注入するだけであるが,VEGFによる血管新生効果により血流が改善され下肢切断を免れたことが報告され,ようやく遺伝子治療の有効性が示されてきた↑9)↑。
このストラテジーの特長は閉塞部位は放置し,その周囲に新生血管を作らせて末梢への血流を確保しようとするところにあり,血管新生が起こる間だけ,しかも局所的に導入遺伝子が発現するだけでよい。したがって現在の遺伝子治療技術でも従来法に勝る治療効果が収められるであろうと予想される。
大阪大学医学系研究科では,HGF(hepatocyte growth factor)の遺伝子導入によって血管新生が起こり虚血性疾患の遺伝子治療が可能であることを動物モデルにおいて示すことに成功した↑10),11)↑。これを受けて大阪大学医学部附属病院でも2001年6月よりFontaineV/Wの閉塞性動脈硬化症やバージャー病の患者6名に対する遺伝子治療臨床研究が開始された。患者選定基準表1に示すとおりである。2mgのHGF
plasmid DNAを500μgずつ閉塞部位の骨格筋4か所に注入し,4週間間隔で再度同様の投与を行った。2001年12月末の評価委員会において,安全性と有効性を示す見解が得られ,より軽症の16例に遺伝子治療臨床研究を行う次のステップへの移行が認められた。もちろんプラセボコントロールをおく必要性や二重盲検試験の実施など医薬品として認められるまではまだ道のりは遠いが,今は有望視されるこの遺伝子治療を推進すべきである。
この遺伝子治療研究においてはHGFのnaked plasmid DNAを2mgを2回,閉塞部位周辺の骨格筋に注射する方法が取られている。これはIsnerらが実施したVEGF遺伝子治療研究にのっとった方法であるが,後述するように骨格筋ではnaked
plasmid DNAの注入によっても遺伝子発現が認められている。DNAあたりの遺伝子発現効率は高くはなくともベクターを用いるよりも安全性の高い方法として最近汎用されている。とくにVEGFやHGF遺伝子の場合,強力に発現しすぎると他臓器に対するさまざまな作用を引き起こす可能性がある。しかし局所での血管新生はnaked
plasmid DNAによる遺伝子発現で十分であると予想され,これに取って替わるベクターによって遺伝子発現をさらに強力にする必要がなさそうである。
同様のストラテジーは重度の狭心症においても有効であろうと考えられ,HGF遺伝子導入によりラットやイヌの心筋梗塞モデルで,心臓の血流改善と心機能改善を認めている↑12)↑。
V.遺伝子治療技術
遺伝子治療の鍵を握る遺伝子導入技術については,従来のベクターの短所を克服するためのアプローチ,新たなウイルスや生体親和性物質,導入効率増強剤の開拓による新技術の開発など刻々と開発が進められている。もう1つの方向性はおのおのの遺伝子導入ベクター系の持つ問題点を複数のベクター系を組み合わせて相補するハイブリッドベクターの開発である。
現在の遺伝子導入ベクターは表2のようなものが主として臨床応用されている。これらは大別してウイルスベクターと非ウイルスベクターに分類される。前者はウイルスゲノムの一部を,発現させたい外来遺伝子に置換した組み換えウイルスであり,一般的にはウイルスの殻を産生するパッケイジング細胞への組み換えウイルスゲノムの導入によって作製される。おのおののベクター系は長所と短所を有する。一般にはウイルスベクターは遺伝子導入効率が高いが安全性に問題があり,非ウイルスベクターは安全性は高いが,効率が低いといえる。そこで両者の機能を併せ持つようなハイブリッド型の概念が生まれてきた。ウイルスベクターや非ウイルスベクターの解説は他書↑13),14)↑に譲るとして,ここではハイブリッド型ベクターについて解説する。
われわれは非ウイルスベクターにウイルスコンポーネントを取り入れたハイブリッド型リポソームを開発してきた。すなわち,生体組織への遺伝子導入効率を高めるためにリポソームに封入した遺伝子を,細胞融合ウイルスであるHVJ(hemagglutinating
virus of Japan;Sendai virus)を利用し,細胞融合を利用して直接細胞質内に導入できるHVJ―リポソームが開発された↑15)↑。この方法では図1のようにDNA(と核蛋白質)を封入した一枚膜リポソームを不活化HVJと融合させ,HVJ由来の融合蛋白FとHNを含むベジクルが作製される。HVJはF,HNの共同作用によってリンパ球以外のほとんどの細胞に融合し遺伝子の導入が可能であり,約10分のインキュベーションでほぼ融合,導入が完成する。DNAサイズは100kbまでなら10―20%の率でリポソームに封入できる。細胞の分裂,非分裂を問わず遺伝子の導入,発現が可能であり,連続投与も可能である。アンチセンスオリゴヌクレオチド(AS-ODN)やRNA,蛋白や薬剤の導入にも極めて有効であることがわかった。またこのベクターは負電荷を帯びており培養細胞系での細胞との接着は弱いが,組織への滲透性に優れ血管内皮をすり抜け組織内部へ拡がりさまざまな細胞に遺伝子導入が可能であり遺伝子治療研究に汎用されている。このベクターのサルでの安全性試験も終了した。
しかしウイルスとリポソームという2つの異なるベジクルを準備する必要があり手法が複雑であること,リポソームと融合することによってウイルス粒子より平均直径が1.3倍大きくなった粒子は融合活性がウイルスの10%以下に落ちてしまうことなどの欠点も併せ持つことがわかった。
HVJはマウスのパラインフルエンザウイルスでヒトへの病原性はないが,末梢リンパ球やウマ赤〓球を除くほぼすべての細胞に融合可能である。しかしこのウイルスは免疫原性が高く,とくにNP蛋白が大量に産生されると細胞障害性T細胞を誘導することが知られている。また宿主の蛋白合成が阻害される懸念もある。組み換えセンダイウイルスベクターではこれらの点が克服されない。そこでこのウイルスを不活性化し,ウイルス蛋白の産生をなくし殻(エンベロープ)の機能のみを利用して高分子物質の導入を行う研究がなされてきた。もう1つの方法はウイルス融合蛋白を取り出して脂質膜に再構成させる方法であり,detergentでウイルスを破壊し遠心やカラム操作で融合蛋白を精製して,その蛋白と脂質と導入したい遺伝子をdetergent存在下で混合し,detergentを除去することにより融合蛋白を脂質膜に埋め込み同時に遺伝子も封入されるというものである。この方法で作成された粒子は遺伝子導入が可能であり,かつ細胞毒性・抗原性は低いと考えられる。しかし再構成させることによってウイルスの持つ他の蛋白(M蛋白)が失われることにより,融合活性に必要なF1とHN蛋白の比率が野生型のウイルスと同様には保たれないために,融合活性が低くなるという欠点もある。また再構成したときに融合蛋白が脂質膜に挿入される方向性が野生型ウイルスと同様であるとは限らないために未知の抗原提示がなされる可能性もある。
われわれはこれらを克服するためにHVJを不活化し,この中に導入したい遺伝子を封入して細胞内導入可能なベクターとする方法として,図4のようにmild
detergent処理と遠心力によって不活化HVJ粒子内に遺伝子を封入し,強い融合活性を保ったまま培養細胞へも生体組織へも遺伝子導入が可能なHVJ envelope
vectorの開発に成功した↑16)↑。
電顕写真でみられるように約300nm直径のHVJは粒子内に約15kbのRNAゲノムを有するが,紫外線等でこのウイルスを不活性化するとこのゲノムが破壊され,中空のベジクルが形成される。このとき外液にplasmid
DNAを入れておき,Triton X-100などのdetergentで処理して10000gの遠心をかけることによってplasmid DNAが約20%の効率で取り込まれることがわかった。
このベクターは多くの培養細胞への遺伝子導入に優れ,とくに従来法では効率の低かった浮遊細胞や初代培養細胞への遺伝子導入に効果的であることがわかった。またFITC-ODNはどの細胞においてもほぼ100%に近い効率で核内導入される。この他,蛋白質や抗癌剤などの封入・導入も可能であり,すなわちDDSとして用いることもできる。このベクターは研究用試薬として2002年4月よりGenom
Oneという商品名で石原産業から市販されている(http://www.iskweb.co.jp/hvj-e)。
一方,このベクターはもちろん生体組織への遺伝子導入にも優れており,マウス肝臓への遺伝子導入においてはHVJ-liposomeの約2倍,HVJ-liposomeでは不成功であったマウス子宮内への遺伝子導入によっても十分な発現が子宮内膜細胞に認められている。この他,肺,脳,眼,脾臓,関節組織,癌組織などへの遺伝子導入に優れていることが明らかになってきている。将来,血管新生遺伝子をこのベクターで導入して心筋梗塞や脳梗塞などの遺伝子治療が可能になることが期待されている。このベクターの医療用材料化もアンジェスエムジー社で進められており,わが国独自の非ウイルスベクターとしてヒトへの応用が期待されている。
W.遺伝子治療推進体制の将来展望
遺伝子治療研究の進め方はまだ確固としたものができていない。誰もが手探りの状態で進めている。研究と応用,基礎と臨床,そして産業化。それらをすべて包含する体制が必要であるという認識はようやく芽生えてきた。基礎研究が必要であるという認識はつねに持つべきである。そうでなければ遺伝子治療研究というのは,他人の研究成果を借りて応用だけに終止してしまう。基礎研究の成果が生体組織で働くかどうか,疾病モデル動物の治療に有効かどうかを絶えず検証していくことが求められる。たとえば遺伝子導入法の開発にしても,遺伝子導入自体,生体におけるさまざまな防衛機構に逆らった行為なのである。したがって遺伝子導入とその発現のためには生体の防御系をよく解析し,理解したうえで効果的な遺伝子治療技術を開発することが今後もっと意識されるべきである。
また遺伝子導入法の開発ばかりでなく,治療用遺伝子の分離,病態の分子解析等の基礎研究は極めて重要である。しかし基礎研究だけで終わってしまうことは許されない。基礎研究の成果が生体組織で働くかどうか,疾病モデル動物の治療に有効かどうかを絶えず検証していくことが求められる。基礎研究に邁進するグループ,その成果を生かして遺伝子導入法を開発するグループ,開発された方法の応用可能性について検証し,新たな治療法を提唱するグループ,実際にヒト遺伝子治療を推進するグループ,このような複数のグループが1つのチームを結成することが必要である。また産業界との結びつきがなければ,臨床用ベクターの大量生産も困難である。
このような体制の必要性は従来より指摘されてきたにもかかわらず,未だ整備されていない。一貫したコンセプトのもとにすべての組織を統率する必要がある。遺伝子治療の成功をめざすのであれば,研究者自身が体制作りに参画することがすでに求められているし,今後も益々要求されるであろう。
現実の問題として重要なことは大学,研究所での開発技術を臨床に結びつけることができるインフラの整備である。開発技術の安全性の検討を専門に行える機関,および製剤化,安価でかつ大量にベクター生産を行える施設が必要である。開発技術のできるかぎり有効な実用化のためには,これらの施設は大学主導であるべきと考えている。すなわち学内ベンチャーの設立が望ましい。当座の資金のサポート体制が必要であり,国が積極的に行うべきであり,その体制は整ってきている。ベンチャーカンパニーは【創】ることはたやすい。問題は維持・発展のめどがたっているかどうかである。そのための基本は国際的に通用する特許を有しているかどうかであろう。それがなければ断じてむやみに【創】るべきではない。
X.お わ り に
遺伝子治療が始まって12年である。試行錯誤の1時代を経て,ようやく遺伝子治療に対する正しい認識と,どのように進めるべきかという方針が世界中に芽生えてきたのではないだろうか。しかしこのような認識を持つ研究者が実は未だ一握りであることが,議論をするたびに明らかになる。またわが国においては,遺伝子治療に関して一般市民の理解が,遺伝子治療以外の分野の研究者の理解より進んでおり,その考え方もはるかに柔軟であることも確かであり,これは驚きである。しかし他分野の研究者の理解が低いのも無理もないと思われる。なにしろ客観的にみて多くの人々を納得させる実績がまだ皆無なのだから。1つでも遺伝子医薬品として認識されるようになれば,見方も変わるであろう。その意味で確実な実績を上げることが急務である。体制作りはそれからでしか動かないものであろう。
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著者紹介
1980年 大阪大学医学部卒業
1984年 同大医学部大学院医学研究科博士課程修了
1984年 同大細胞工学センター 助手 1992年 同大細胞生体工学センター 助教授
1998年 同大医学部遺伝子治療学 教授
2000年 同大大学院医学系研究科 教授(現職)
主要研究テーマ:遺伝子治療の基礎研究
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