リウマチ Vol.42 No.4 index
に戻る

リウマチ Vol.42 No.4             
「診断基準ついて想う」
 
宮脇昌二
 
 1958年アメリカリウマチ協会(ARA現ACR)にて関節リウマチの診断基準が提唱されて以来,ほぼ全膠原病疾患の診断基準が出そろうようになった。その多くはACRが関与した基準であるが,一部厚生省基準も加わって,かならずしも専門医でなくても複雑かつ多岐にわたる膠原病疾患の分類と整理が容易となり,リウマチ学の普及に大いに貢献していることが考えられる。

 わが国ではこれらの診断基準を欧米人以上に厳格に守りつつ膠原病診療が行われている現状がある。例えばACRのSLE基準を例にとると,11項目中4項目以上あればSLEの診断が可能とされている。抗核抗体陽性,抗DNA抗体異常高値,関節痛,微量蛋白尿(1日0.5g以下),補体低下などを示す症例が存在した場合,ACR基準では3項目しか満たさない。そのためSLEは疑われるが確定診断には至らずと判定され,経過観察されている症例にしばしば遭遇する。どのように経過観察されるのかというと,蛋白尿が1日0.5g以上に増加するのを待つのである。学生ならともかく,リウマチ科を標榜している日本リウマチ財団登録医や日本リウマチ学会認定医までもが行なっている点は始末が悪い。各疾患の本質を理解しておればこのような愚挙は回避されるはずであるが,昔と違って難解となった入学試験,国家試験,認定医試験を経験した暗記世代に本質を理解せよと言っても無理なのかもしれない。

 さらにわが国では診断基準の奇妙な使い方がまかり通っている。通常,診断基準は診断の目安が記載されているだけであって,その疾患の重症度までを反映するものではない。疾患の重症度は別に作成されたその疾患の重症度基準に準拠して判定されるべきである。それにもかかわらず診断基準を多数項目満たす症例は少数を満たす症例よりも重症であるかのごとく錯覚されやすい。それは基準を満たせば完全型,満たさなければ不全型と呼称されるためであろう。たしかに“完全型”には重症,“不全型”には軽症という語感がある。しかしこれは錯覚であって診断基準の適応時にこの語感はかならずしも当てはまらない。

 このような錯覚が問題となるのは混合性結合組織病(MCTD)を含む重複症候群(オーバーラップ症候群,OL)を論議する際である。欧米ではMCTDはOLの一つとして扱われているが,わが国では完全型の組合せをOL,また不全型の組合せをMCTDとして両者を区別する風潮があり,今なお学生の一部の教科書に載せられている。両者を区別する理由は,OLの予後は悪く,MCTDは良好という明確な違いが認められるためとされている。きわめて単純明快な論理であるため,かつて筆者も数回自験症例で予後を比較検討してみたが,OLとMCTDとの間に有意な差は認められなかった。その理由は,上述したように,現存の診断基準は疾患の重症度までを反映していないからである。このような診断基準の使われ方は,わが国独特の,基準に対する几帳面さと過大評価が反映されたものであり,世界から孤立しないことをひたすら望む次第である。

 一方,わが国ではなぜか診断基準の良し悪し(評価法),すなわち基準の原理,原則をないがしろにする風潮がある。1977年以来わが国で汎用されてきたシェーグレン症候群の厚生省基準が,1999年,日本シェーグレン症候群研究会によって改訂された。その際に実際に起こった事態をご紹介しよう↑1)↑。

 診断基準の良し悪しは基準の対応疾患に対する感度,特異性,精度によって評価されるのが原理,原則である。シェーグレン症候群の診断基準を例にとれば,シェーグレン(本物)と非シェーグレン(偽物)の症例を同数例ずつ可能な限り多数集め,本物と偽物を基準に適合させて真陽性,偽陰性,真陰性,偽陽性に分類し,感度,特異性,精度を算出する。感度とは基準がシェーグレン症例を本物として受け入れる率を示し,〔100−感度〕は偽陰性率となる。また特異性は基準が偽物を排除する率であり,〔100−特異性〕は偽陽性率となる。また精度とは基準が本物を包含し,かつ偽物を排除する率を示す。一般に感度,特異性,精度が90%前後を示し,またこれらの数値に均衡が取れていることが優れた基準とされている。基準の良し悪しは以上の原理,原則を最低限念頭において論議されるべきものである。

 日本シェーグレン症候群研究会では@唾液腺/涙腺の生検所見,A眼科所見,B口腔所見,C血清所見,以上の4項目を組み合わせて,当初,「@のみ,またはABCの2項目以上があればシェーグレン症候群の診断が可」とする改訂基準案を作成した。研究会員より集めたおのおの約400例のシェーグレンと非シェーグレン症例で検定した結果,感度90.2%,特異性91.7%,精度90.9%と,いずれも高値かつ均衡の取れた検定結果を示していた。これを厚生省改訂基準案とし,研究会の世話人会と総会に提出した。なお改訂前の1977年厚生省基準は感度82.3%,特異性93.2%,精度87.0%であり,また国際基準を目指してヨーロッパ十数カ国(European Community)が共同で作成した診断基準(1993年)は感度71.4%,特異性93.2%,精度80.8%と,いずれも特異性は高いが,低感度の不均衡な検定結果を示していた。

 ところがこの改訂基準案に対して強硬な異論が唱えられた。それは“外分泌腺の生検所見はシェーグレンに特異性がないため,これのみでシェーグレンの診断を下すことは非常識である。@〜C項目中の2項目以上をもってシェーグレンの診断を可とするように変更すべきである”との異論であった。これに対して“非特異的な生検所見があるのは事実である。しかしそのような症例の混入が多ければ偽陽性率が上昇し,特異性が低下するはずである。しかし改訂案の特異性は91.7%と良好であり,非特異的症例は偽陽性率8.3%の中にすでに折込済みと解釈されるべきである”と反論されたが,全く理解されなかった。また4項目中2項目以上へと改訂案を変更すると,感度82.8%,特異性94.6%,精度87.9%と,旧厚生省基準とほとんど差がない結果となり,基準の改訂とはなりえないことが主張された。しかし“感度,特異性を無視してでも4項目中2項目以上へと変更すべきである”との,基準の原理,原則を無視した強硬な異論が繰り返された。結局,時間の制約もあり世話人の採決に委ねられた。その結果,圧倒的多数をもって「4項目中2項目以上をもってシェーグレン症候群とする」という最悪の案が採択され,研究会総会にて1999年厚生省改訂基準として承認された。

 問題はこれだけでは終わらなかった。

 2002年5月第8回国際シェーグレン症候群シンポジウムが金沢医大菅井進教授の主催で開催された。なぜかこれに備えて1999年改訂基準の再検定が一部の研究会員によって試みられた。すなわち2001年秋より新たに900例のシェーグレンと非シェーグレンの症例が研究会員より集められ,国内でのコンセンサスがないまま,同シンポジウムで突如発表された。その結果は感度96.0%,特異性90.5%,精度94.5%と,わが目を疑う,驚くべきものであった。その際,1999年の改訂時に行なわれた最悪の検定結果は伏せられていた。

 なぜ再検定の結果がこのように上昇したのであろうか。それはシェーグレンと非シェーグレンの新たな症例を提供した研究会員の大多数(76%)が公表された1999年改訂基準を使用していたからである。その結果1999年改訂基準に対してきわめて優位なバイアスが作動し,感度と精度を著明に上昇させたのである。基準を評価する際には基準が考案される前に集められた症例で検定されるのが原理,原則であり,新基準または改訂基準を公表した後に,それらに準拠して集められた症例を用いる手法は違反なのである。予想通り,ヨーロッパ基準作成の中心人物であるイタリアのVitaliや欧米の研究者よりこの手法の間違いが鋭く指摘されたが,それに対して明確な反論ができないまま,ただ沈黙を保つ惨めな結果となった。なおEuropean Communityではアメリカと提携してヨーロッパ基準の一部をマイナーチェンジし,国際基準とすることを同シンポジウムで提案している。

 診断基準の新たな考案や改訂に際しては基準の原理,原則が厳守され,それに基づいた結果は尊重されるべきである。1999年改訂基準の当初の案はきわめて感度,特異性,精度にバランスが取れたものであった。しかし原理,原則を無視した意見がもっともらしく聞こえた途端,その意見に大多数がなびき,一瞬のうちに最悪の改訂案に賛同してしまった姿は情緒的であり,思考停止の状態にあった。その上,この改悪基準を日本基準とし,その優秀性を何が何でも世界に誇示せんがために,最悪の検定結果をまず伏せ,さらには使ってはならない手法で感度と精度を上昇させた結果を国際シンポジウムで突如発表し,非難されたのである。こうした行為は,折角,盛会を願って日夜大変な努力をされた菅井教授のご苦労を水の泡と化す国辱的愚挙と映ったのは,人一倍精度が悪く,感度が鋭敏すぎる筆者の目のみの特異反応であったのであろうか。

 1977年の旧厚生省基準の作成と基準改訂の一端に関与した筆者にとって,厚生省基準がもはや回復不能な深手を負わされてしまった現状に対して,深い憤りと寂しさを感じる昨今である。


文 献
1) 厚生省シェーグレン症候群診断基準の改訂基準に関する考察:日本シェーグレン症候群研究会において採択されるまでの経緯.リウマチ40:48-53,2000
 

著者紹介
 1963年 岡山大学医学部卒業
 1968年 同大学院博士課程修了
 〃 同第三内科 助手
 1970年 メインメディカルセンター リウマチ疾患研究所(米国)留学 1983年 岡山大学第三内科 講師
 1989年 (財) 倉敷成人病センター リウマチ膠原病センター長
 1995年 同 副院長(現職)
主要研究テーマ:膠原病の臨床・血清免疫学的研究

ページトップに戻る
Copyright Japan College of Rheumatology All rights reserved