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リウマチ Vol.42 No.2             
「ヒトゲノム解析の現状と将来展望」
 
中村祐輔
東京大学医科学研究所
 
教育講演
 30億の遺伝暗号からなるヒトのゲノム配列の全貌がほぼ明らかになり,これを受けて,多くのメディア関係者のみならず,研究者さえも,すべての遺伝子機能が解明されたかのような報道を繰り返している。その結果,病気の発症やその悪化に関連する分子機構の詳細がわかり,明日にでも画期的診断や治療が行えるかのような誤った認識が広がりつつある。「ポストゲノム研究」という,あたかもゲノム研究が終了したかのような言葉が一人歩きしていることも,このような風潮を後押ししていることも事実である。ヒトゲノム研究が医療やわれわれの健康維持に対する考え方に計り知れないくらい大きい影響を及ぼすことは明白であるが,正しくは「ポストゲノム」時代ではなく,「ポストゲノムシークエンス」時代との現状認識を持つべきである。ここでは,ポストゲノムシークエンス研究の現状,ならびに,将来展望について紹介する。

ゲノム研究の波及効果・研究の現状
 2000年6月26日にセレラ社と日米欧の研究者が「大部分の(100%の領域ではない)ヒトゲノム暗号のおおまかな(精度が100%ではない)解読を終えた」との発表をした。シークエンスの精度も十分ではなく,クローニングの難しい領域をどのように解析していくのかなどの問題が残っており,100%の遺伝暗号を100%の精度で完成するにはまだまだ歳月を要することは間違いないが,ゴールは見えてきたといってよい。しかし,このゲノム暗号の「読みとり」の終了は,次のステップに向けた「本当の意味での解読」の始まりに過ぎない。たとえば,ヒトゲノムにはいくつの遺伝子が存在しているかさえ,4万種類弱であるとか,いやもっと多いはずだとか,いぜんとしてはっきりとしない。4万種類としても70%程度の遺伝子の機能がわかっていないことになり,本当の意味でのゲノム解読には,ほど遠いレベルである。

 ゲノム研究の成果の医療・健康への波及効果を列記すると
 (ア) 疾患を起こす仕組みの科学的かつ分子レベルでの解明
 (イ) 疾患を起こす原因を標的分子とした,画期的な新規診断法や治療法の開発
 (ウ) 同じ診断名や類似の症状の疾患であっても,その背景となる疾患を起こす仕組みの違いを考慮
    にいれた,薬剤の使い分けなどの医療の個別化(オーダーメイド化)
 (エ) 個人個人の疾患リスクに応じた疾患予防,発症遅延のためのライフスタイルの改善 となる。

薬剤開発手法の転換
 これまでの薬剤開発は主として,天然の存在する化合物や合成した化合物の中から薬効のあるものをスクリーニングしていく手法がとられてきた。平均すると約5000種類の化合物から10年前後の歳月を経てようやく薬剤として販売できる物質が一つ見つかると推測されている。しかし,最近では疾患や症状を引き起こす分子を見つけだし,これを標的として,(1) 標的分子と結合する物質(天然界に存在する物質や化合物)を高速にスクリーニングする方法,(2) 蛋白質の高次構造を手がかりに化合物を選別したり,合成する方法,(3) プロテインチップを用いたスクリーニング法などによって候補薬剤をスクリーニングする方法などがとられており,すでに,非常に効果的に作用する薬剤もこのようなアプローチによって開発されている。

ゲノム情報に基づく薬剤の使い分け
 ある疾患に対して薬剤を投与した場合,薬剤が有効であった患者,あまり効かなかった患者,まったく効かなかった患者というように,患者の応答性は大きく異なる。これは,症状が同一で同じ病名であっても,その症状を引き起こす経路が異なっている(あるいは,薬の分解・解毒する速さが大きく異なっている)からである。このような薬に対する効果の違いに加えて,時には致死的となるような強い副作用も大きな問題の一つである。薬は諸刃の剣であり,効く薬であればあるほど,その解毒系に異常を持っている患者に対して重篤な副作用を引き起こしてしまうことは当然ともいえる。解毒能力が10分の1,50分の1の患者に対しても,他の患者と同様に薬を投与すれば,とんでもない副作用が出るのは当然である。このような不幸をさけるためには,それぞれの患者に適したオーダーメイド医療を目指して,「必要な患者に,必要な薬剤を」だけでなく,「必要な量を」といった考え方が重要であり,これらは遺伝子多型を主としたゲノム研究的アプローチ法を応用することによって実現可能である。将来的(10-20年後)には,さまざまな医療上重要な遺伝子多型情報を個人個人がICカードなどに保持し,医療機関において,それらの情報に基づいて個人別の適切な(オーダーメイドの)医療を受けることができるようなシステムができあがるようになるものと予測される。

疾患関連遺伝子研究のための課題
 疾患関連遺伝子や薬剤応答性遺伝子を見つけるためには,cDNAマイクロアレーやチップを利用した体系的な発現情報解析とSNPなどを大量・高速に解析していく体系的遺伝子多型解析を組み合わせたアプローチが重要であるが,ここでは体系的多型解析に焦点を絞って解決すべき課題を取り上げる。
 アソシエーション解析による疾患関連遺伝子研究のためには,(1) 質のよい臨床情報を伴った患者DNAサンプルの収集,(2) 研究を進めていくために必要とされる患者数のシミュレーションなどを含めた効率的な戦略・戦術の組み立て,(3) 大量高速SNPタイピングシステムの確立などが不可欠である。
 生活習慣病などは,遺伝的要因と環境要因が複雑に関与するのみならず,複数の遺伝的要因が発症リスクに関与する。個々の遺伝子の寄与率は大きくとも発症リスクを2-3倍高めるだけで,大半の要因は数十%程度発症リスクを高めるだけであると考えられている。そのような遺伝的要因を見つけだすための必要患者数はそれぞれの要因の寄与率(疾患リスクを何倍高めるか)と疾患易罹患性を示す遺伝子アレルの一般集団中における頻度によって大きく異なる。
 また,一般的な臨床研究ではp=0.01どころか,p=0.05であっても有意な値と判断されるが,ゲノムワイドに数万―数十万カ所に及ぶSNPなどの遺伝子多型を調べていく場合にはp=0.01という値はほとんど意味をなさない。したがって,p値が10↑-6↑から10↑-7↑程度を得なければ,確定的な判断はできないことを理解すべきである。相対危険度が1.5倍で,アレル頻度が0.2でp=10↑-6↑を目標とするならば,1000-2000人の患者数が必要になる。
 また,検討する対象遺伝子を約1万種類の機能が明らかになっている遺伝子に限定するのではなく,現時点でもいぜんとして機能未知であるすべての遺伝子をも含めて,疾患関連遺伝子を検索するのであれば,ゲノム全体に分布するSNPで検討していく必要がある。このために,たとえば,2000人(1000人ずつのコントロール集団と患者集団)について,10万SNP(1遺伝子3SNP程度に相当する)を検討すると仮定すると2億の遺伝子型を決定しなければならない。もし,1万種類のSNPについて検索する場合でも2000万のSNPタイピングが要求される。したがって,このような大量のSNPタイピングをいかに高速で正確に実行していくのが現時点での重要な課題の一つである。
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