2000年6月にヒトゲノムの概略配列(ドラフト配列)データが,国際DNAデータバンクのDDBJ/EMBL/GenBankに登録され一般に公開されて以来,ヒトゲノムの集団内における多様性を解析して,疾患に関連する遺伝子を探索しようという動きが加速している。本年2月には,国際コンソーシアムが概略配列に関する論文をNatureに発表し,米国のベンチャー企業も異なる民族由来の5個体から取られたヒトゲノムの完全DNA配列データを,コンセンサス配列としてScienceに発表した。
このような状況のもと,ヒトゲノム多様性に関する研究の重要性が急速に認識される中で,遺伝的多様性の理論的基礎を構築する集団遺伝学の理解が一般には進んでいないように思われる。そこで,本講演においては,ヒトゲノム多様性から疾患遺伝子の探索を行う過程で必須となる集団遺伝学の基礎的概念や考え方を,SNPs(single
nucleotide polymorphism)やマイクロサテライトDNA(micro-satellite DNA)といった多型マーカーを例に引きながら,簡潔に解説することを試みる。
集団遺伝学においては,ある遺伝子座に存在する複数の対立遺伝子のそれぞれの集団内頻度に注目するとき,最大頻度を持つ対立遺伝子の頻度が99%か95%以下のとき,その集団はその遺伝子座において1%レベルあるいは5%レベルで「多型(polymorphic)」であるという(逆にそうでないとき,その集団は,「単型(monomorphic)」であるという)。このような遺伝的多型現象は,さまざまな要因によってもたらされるが,最も重要な要因として,「遺伝的浮動(genetic
drift)」と「自然淘汰(natural selection)」が存在する。遺伝的浮動は,「集団の大きさ(population
size)」つまり個体数が有限であるため,任意交配の効果により対立遺伝子頻度が時間とともに機会的に変動することであり,対立遺伝子頻度が増加するか減少するかはまったく,偶然に左右される。一方,自然淘汰には,「正の淘汰(positive
selection)」と「負の淘汰(negative selection)」があり,前者は適応度の高さに応じてその対立遺伝子の集団内頻度を急速に増加させるように働き,後者は逆に減少させるように働く。実際の集団における対立遺伝子頻度の変化は,一般に遺伝的浮動と自然淘汰の両要因によって決定されるが,その対立遺伝子が疾病を起こす突然変異体の場合など,その対立遺伝子の機能を理解するには,どちらの要因がより強く働いているかを考察することが重要になってくる。
さて,2つ以上の遺伝子座を考慮したとき,それぞれの遺伝子座に存在する対立遺伝子のある組み合わせ(これをハプロタイプという)の頻度が,それぞれの対立遺伝子頻度の積と等しくない場合,「連鎖不平衡(linkage
disequilibrium)」が存在するという。一般に,2つの遺伝子座間の距離が短ければ短いほど,その遺伝子座間で組み換えの起こる確率は低くなるので,連鎖不平衡は強くなる。
いま,SNPsのある塩基サイトやマイクロサテライトのゲノム上の存在場所を1つの遺伝子座とし,疾病の原因遺伝子をもう1つの遺伝子座とみなそう。そうすると,原因遺伝子と連鎖不平衡を持つSNPsやマイクロサテライトを探し出せば,疾病の原因遺伝子はそのSNPsやマイクロサテライトの近傍に存在する可能性がきわめて高いことになる。このため,SNPsやマイクロサテライトは,疾病の原因遺伝子を探索するのための「多型マーカー」として,現在精力的に調べられているのである。
しかし,集団内の多型現象が,遺伝的浮動や自然淘汰によって引き起こされている以上,このような要因を十分に考慮して,得られる連鎖不平衡を考察しないと重大な過ちを犯しかねない。また,SNPsは約千塩基に1個所の割合で存在するかわりに,対立遺伝子に相当する塩基タイプが一般には2種類(最大でもA,T,G,Cの4種類)しかないし,マイクロサテライトは約3万塩基に1箇所ほどしか存在しないが,対立遺伝子に相当する少数塩基の繰り返し回数の種類は一般により多く存在する。このため,SNPsとマイクロサテライトのどちらが多型マーカーとしてより適当かという論争が今も繰り返されている。しかしながら,疾病の原因遺伝子のゲノム上の大雑把な位置をまずマイクロサテライトで探索し,その後SNPsを用いて詳細な位置を同定するという方法が,現在のところ最も論理的で最良と思われる。
以上のように,最近の研究動向に注目しながら,集団遺伝学の基礎をできるだけ分かりやすく概説してみたい。 |