抗リン脂質抗体症候群(antiphospholipid syndrome)は,血中にいわゆる抗リン脂質抗体が証明され,動静脈血栓症,習慣流産,血小板減少などを来す疾患である。
抗カルジオリピン抗体の対応抗原であるヒトβ2-GPIは,血清蛋白であり,およそ200μg/mlの濃度で存在する。本蛋白の約30%がリポ蛋白画分に存在し,また,リポ蛋白リーパーゼ活性を有することから,アポリポ蛋白Hとも呼ばれている。本蛋白は326個のアミノ酸からなるシングルペプチドでアスパラギンにN-linkした4本の糖鎖を有する。
β2-GPIは11個の分子内ジスルフィド結合により形成される5個のsushi domain(寿司構造)もしくはshort consensus
repeats in C4b-binding protein and other related proteins(SCR units)とも呼ばれる繰り返し構造からなる。
β2-GPIの立体構造の解析とモノクローナル抗カルジオリピン抗体とファージランダムペプチドライブラリーを用いた研究から,抗カルジオリピン抗体の認識するβ2-GPIの第Wドメイン上のB細胞エピトープの位置も明らかになった。また抗原構造の維持には第Wおよび第Xドメイン間の静電結合が必須であり,エピトープ形成に際してキーとなるアミノ酸の存在も明らかになった。
β2-GPIは主として肝臓で産生されるアポ蛋白であり,陰性に荷電したリン脂質(ホスファチジルセリン,ホスファチジルイノシトール,ホスファチジン酸等),ヘパリン,酸化LDL等の陰性荷電表面や活性化細胞やアポトーシス細胞にも結合する(細胞表面のホスファチジルイノシトールを介した結合と考えられている)。
β2-GPIの生理的役割に関しては,まだ不明の点が多いが,凝固系に対するβ2-GPIの役割に関する知見は散見される。それらはいずれもβ2-GPIが陰性荷電を有するリン脂質に対して結合するという特性に起因している。現在まで,ADPにより惹起される血小板凝集の抑制,リン脂質依存性の第]因子の活性化の抑制,さらにXa-Ca↑2+↑-リン脂質複合体(プロトロンビナーゼ)活性を抑制することなどが知られている。最近になり,このようなanticoagulant活性に加えて,β2-GPIは活性化プロテインCのXa因子阻害能を抑制するというprocoagulant活性をも有する,凝固反応を促進と抑制の両面から制御している極めて興味深い蛋白であることが明らかになった。またβ2-GPIは内因系線溶にもかかわる分子であることも明らかになった。
臨床上,ループスアンチコアグラント(LA)の判定は,1) リン脂質依存性凝固時間(APTT, KCT, sRVVT, dPT,
Textarin time)が延長している。2) 凝固時間の延長が正常人血漿との混和試験により補正されない。3) 凝固時間の延長がリン脂質の添加により補正され,他の凝固異常が除外できる(factor
[ inhibitor, heparin等)の3点によりなされる。しかしこれらの検査は,測定に熟練を要するし定量性に欠けるため,患者の経過観察や治療効果の判定には必ずしも有用ではない。また,抗凝固療法中の患者では陽性の判定が難しい。最近われわれは,ヒトプロトロンビンをマウスに免疫して得たモノクローナル抗プロトロンビン抗体が,極めて強いLA活性を有することを明らかにし,LAの標準抗体となりうることを示した。
抗リン脂質抗体症候群患者に認められる第3の自己抗体として,最近抗プロトロンビン抗体が注目されている。本抗体も直接プロトロンビンに反応するのではなく,Caとホスファチジルセリンの存在下でプロトロンビンに結合する性質を持っている(ホスファチジルセリン依存性抗プロトロンビン抗体)。この自己抗体は疾患特異性が極めて高く,今後β2-GPI依存性抗カルジオリピン抗体やLAとともに,抗リン脂質抗体症候群のスクリーニングには必須の検査になると思われる。
抗リン脂質抗体症候群の発症頻度には明らかな人種差が存在する。すなわち,欧米人に多く黒人には少なく,日本人はそのほぼ中間程度の発症頻度である。また,β2-GPIには数種類の遺伝子多型が存在することが知られているが,その生理的もしくは病理的意義に関してはまったく明らかではなかった。
われわれは,最近既知のβ2-GPIの遺伝子多型の中で237番の位置に相当するValとLeuの遺伝子多型が抗リン脂質抗体症候群発症のリスクファクターになる可能性があることを見出した。すなわち1)
欧米人の一般集団ではβ2-GPIの237番目のアミノ酸はValが圧倒的に多く,逆に日本人のそれはLeuが多いこと。2) 抗リン脂質抗体症候群の発症率は日本人では欧米人に比し低いが,日本人の抗リン脂質抗体陽性者にはVal(237)を有する者が有意に多いこと。3)
抗β2-GPI抗体はVal(237)を有するβ2-GPIにより高い結合活性を有すること等から,ValとLeuの遺伝子多型が抗リン脂質抗体症候群発症のリスクファクターになる可能性があると結論した。
以前に提唱されていた抗リン脂質抗体症候群の診断基準には,血小板減少が含まれていたが,抗リン脂質抗体陽性の特発性血小板減少性紫斑病が抗リン脂質抗体症候群の中に含まれてしまう。そのため1998年10月に札幌で開催された第8回国際抗リン脂質抗体シンポジウムの診断基準設定ワークショップで,抗リン脂質抗体症候群の新しい診断基準が提示され,従来の診断案の中から血小板減少の項目が削除された。また,抗カルジオリピン抗体もβ2-GPI依存性であることが明記された。この新しい診断基準(案)の有用性や特異性に関しては,本邦においても今後検討しなければならない。
低密度リポ蛋白(LDL)の酸化は,動脈硬化の発症,進展に重要な役割を果たしている。われわれは抗リン脂質抗体症候群由来の抗カルジオリピン抗体(抗β2-GPI抗体)が,血中のβ2-GPIを介して酸化LDLと結合することや,マクロファージによるこれら酸化LDL・β2-GPI・抗β2-GPI抗体複合体の著しい取り込みが起こることを明らかにした。また,酸化LDL中のβ2-GPIのリガンドを単離精製したところ,cholesteryl-linoleateの酸化体であることも判明した。酸化LDL・β2-GPI・抗β2-GPI抗体複合体の場合と同様に,このcholesteryl-linoleateの酸化体含有リポソームはβ2-GPI・抗β2-GPI抗体の存在下で,マクロファージに対する結合活性を著明に増加させる。このような事実は,抗リン脂質抗体,とくに抗カルジオリピン抗体(抗β2-GPI抗体)の存在が動脈硬化発症のリスクファクターとして働く可能性を示唆するものである。
抗リン脂質抗体症候群患者に,実際に動脈硬化性の病変が有意に多いのか否かは現時点では定かではないが,今後明らかにしなければならない重要な課題の一つである。古い文献を調べると,未治療のSLEの剖検例で高度の動脈硬化性病変を有する症例や,小児のSLEで心筋梗塞や脳梗塞を示した症例の記載が多数ある。このような症例での抗リン脂質抗体の存在はどうであったのであろうか,興味深い。
われわれが行ったβ2-GPIの遺伝子解析の結果から,一般集団には相当の頻度で,ヘテロのβ2-GPI遺伝子欠損が存在することが明らかになり,β2-GPI遺伝子欠損と動脈硬化病変進展との関係が注目される。 |